摂理の彩り〜芸術と信仰生活〜

摂理で絵を描いてるMinoriの日記帳。芸術関連の備忘録。

摂理で作品を描く上でのもがきと葛藤

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静かなる承認欲求と自己顕示欲の塊だったMinoriは、摂理に来る前、こんなことを思いながら描いていた。

「誰か私の作品をもっと評価してくれないだろうか」
「SNSでいっぱい反応されないだろうか」

また、他の作家さんに対して、静かな嫉妬心や比較する心があった。
さらに、将来に対する不安感や焦燥感があった。
とにかく人を見て、評価が欲しくて、自分を認めてもらいたくて、寂しかったのかもしれない。
これが、今までのもがきと葛藤。

 
摂理に来て御言葉聞いて、もがきがなくなったか?葛藤がなくなって、いつも万歳ハレルヤで絵を描くことができているのか?
そう聞かれると、半分はYESで、半分はNOだ。
正直なところをいうと、自分の足りなさに葛藤していることが多く多い。
片面は霊の根本的な喜び、片面は自分との戦い。両面を見て一つだ。

 
しかし、もがきの次元が変わった。
いままでの承認欲求や自己顕示欲、そして自己満足で描いていたものはなくなった。「誰を見て描くのか」が変わったからだ。
今は、人ではなく、聖三位を見ている。(作業に夢中になり見れていない時もあるが)

三位を意識して描く、というのは自己満足ではできないし、認めて欲しいという欲で描くこともできない。
だって、三位の神様はとっくに私たちを愛しているし、認めているからだ。
天が自分に何を描かせたいのか、どんな仕事をさせたいのか。人間の考えと神の考えは違う。
それを悟ろうとし、願い求めて得ることが、今一番のもがき。自分の考えとの葛藤。
これを悩めるってとっても贅沢であり祝福だと思う。
もうどんな人も気にすることがない、クライアントがはっきりしているし、絵を描く目的が決まっている。
とにかく、自分の考えの次元をあげて描くしかないのだ。

 
どんなことをしても、今の私の心に伝わるのは「描きなさい」。
でも私の体は「休みたい。」描くことは嬉しいが、正直心身ともに身を削る作業なので、一日中何かしているともう夜はぐったりで無気力。
精神的な体力もないといけない。

 
ここまで、自分の今の等身大のもがきや葛藤をずらずらと書いたが、これって、制作に限らず、人が生きていく上で経なければならない道のりだと思う。
私はたまたま絵を描く人として生まれたから、この分野でもがいているのだ。

 
私は人生と芸術の根本を得た。これだけははっきり示せる。
あとは、天と、地(自分自身であったり社会であったり)をどう繋ぐか?という課題が残っている。
この課題は一生かけてもいいぐらいの課題。
今は若くて人生経験も浅いから、それなりの考えで生きているが、もっと将来、神様が自分を通して行いたいことがたくさん大きくあると確信している。みんな一人一人に。

とりあえず、今日も制作。

 
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