摂理の彩り〜芸術と信仰生活〜

摂理で絵を描いてるMinoriの日記帳。芸術関連の備忘録。

「作品のようにつくる」とはどういうことなのか?

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最近よく、作品を作るように自分を作りなさいとか、作品のように仕事をしなさいとかいう表現の御言葉がでてくる。
これ、私は作品を作る人なのでわかりみがすごいのだが、特にクリエイティブなことをする必要のない人にとってはピンとこないのではないかと考えた。
鄭明析先生はめっちゃ書いて描いて作って建てて行う人だからこの表現が出てくるのだ。

どんなことでも、仕事をしたら、それを「作品」としてしなければなりません。
そうするとずっと美しく、素敵で、一生美しい作品として見ることができます。
これと同じく、<自分を作る時>も「作品」として作ってこそ価値があり、美しく、神秘的です。

(中略)

学んで会得すれば、‐易しく、面白く、希望的です。‐作品を作る作家の心のように嬉しく、希望に満ちて、幸せです。

(鄭明析牧師の御言葉より)

では、作品を作る時はどんなことを考えながら、どんな風に作り上げて行くのか?雑な4コマにまとめてみたので解説していこうと思う。
これは”クリエイターあるある”かもしんない。

1、まず御心かどうか疑う


疑うというより、心配になる。
人間の構想と神様の構想は本当に天と地の差だから、自分がふと思いついたこと、それが最初は天の構想なのか自分の考えなのかわからない。
もっと神霊になって即座に判断できたらいいんだけど。
でも、これはやってみないとわからないし、やってみてこそ判断できる時が多い。
先生が月明洞の野心作を作る時、最初は7段の広い階段にしようと構想した。これならたくさんの人が座って御言葉を聞ける。
しかし、その後に構想を受けて、全く違う想像もできないような岩の造形に取り掛かった。
みんなどうなるかわからなかった。反対する人や批判する人、途中で諦める人もいた。
しかし、最後まで行った。で、現在の作品に至る。

摂理で何かを作ろうとしている人がいるならば、御心かどうか不安になっていることが多いので、まずはそっと背中を押してあげてほしい。
で、私は対話する中で「絶対御心でしょ!」と強く感動を受けたときは「家帰ってすぐやりな!」と力強く言うことにしている。でないと、いつまで経っても足踏みをすることになるから。

「作品」として作るには、最初に止めようとする何者かがいる(ある)。
しかし、祈って神様の構想や聖霊様のふとした感動が来たならば、やるべきである。もちろん、途中で確認しながら。

2、好きな気持ちとこだわりが強すぎる


これを”オタク”という^p^←
少しでもミスったらうわわ・・・となるし、好きすぎて時間を忘れるしこだわりが強いので譲れない部分がある。
作家それぞれに美的感覚があるので、それに少しでもずれていると違和感を感じ、直したくなる。
アスリートが0.1秒を争うようなかんじ?

(ちなみに私は印鑑をつく時、少しでも方向が横にずれると悔しく思う人)

また月明洞の話だが、例えば木の剪定も、枝を切るべきところのみを切らないと、全体的な形、バランス、周りとの調和などが取れなくなるよね。。。とか考えてしまう。
また、小さい岩一つ積むにしても、そんなに変わらないよね〜とか思うじゃん普通。
でも、違うんだってば!!!その色と形の岩はそこに置かないとダメなの!!岩がそう言ってるの!!!

そんな感じです(どんな感じや
自分の霊もそのように美しく完璧に作りたい。

3、完成、さらに極める


よく美術系の子が「どこで目処をつけたらいいかわからない」という相談をする。
極めようと思えばいくらでも極められる。
私も、完成!と思って作品を眺めてると、「待てよ?」とまた加筆の構想が思い浮かぶ。
そして数時間経過。。。

神様が「もう良い、満足だ」という時までやれるならばやりたいよね。「もっと描き込めたのに。。。」というハンを残すのはいやだよね。

 

ざっくり3つに分けたが、もっとあると思う。
御言葉でもあるように、制作は大変だしもがくことも多いけど、とっても楽しくて幸せ。できた作品は我が子のよう。
そのように、そうだ、ということだ。
なんとなくニュアンス伝われば嬉しい。

行なう時によく行ないなさい。<知恵と知識と神様の構想>で行ないなさい。そうすれば見る人が美しく雄大で神秘的に見る。
自分をこのように作りなさい。素敵に開発し、美しく神秘的に自分を作りなさい。
(鄭明析牧師の御言葉より)

 
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