摂理の彩り〜芸術と信仰生活〜

摂理で絵を描いてるMinoriの日記帳。芸術関連の備忘録。

他の個性の人を羨ましがる前に

calendar

芸術とかデザインに関わる仕事をしている人は、日本人口の1%未満。”未満”なのだ。つまり、日本のクリスチャン人口よりも少ないことがわかる。

そのような特殊な状況で自分が育ち、絵を描くことを当たり前としてきたわけだが、この数字を見て驚いたと共に、やはり特殊な天のタラントなんだなとつくづく思う。
 

先日、美大出身のメンバーとご飯を食べたときに、こういう話があった。
「他の大学生のメンバーに、よく”自分は個性がない、絵がかけるのが羨ましい”と言われることがある。でも私はその子達は絶対個性探せば見つかるのに勿体無い。」と。

それで私は言った。
「摂理に来ても個性が見つからないなら、最終的な本人の責任分担だ。」

つまり、天の側が個性を一人一人に与えても、それを見つけようとする努力、開発しようとする努力が足りない、ということだ。
御言葉は”実践してこそ”その御力を発揮する。聞いただけではいい話に過ぎない。
 

絵を描くというのはとってもわかりやすい個性だ。だって行動と作品が目に見えてわかるからね。
私も摂理に来る前にたくさん言われたよ、羨ましいと。
自分はこんなに足りないのに、もがいているのに、その水面下を見られるのではなく、氷山の一角である完成したものと”絵を描く”という事実しか見られない、不思議な個性。
これ、絵だけでなくすべてのものを作る人・生み出す人の共通事項では?

 
個性は表面に出て来るものだけだろうか?
そういう固定観念があるから、いつまでたっても個性を見つけられない。

ちなみに、私は人に興味ない割には意外と人間を見ていて、会話する中で特徴とか性格とか好きなものとか把握するのが得意だということを摂理に来て発見した。
大学時代、摂理に来る前も、同じ世代とばかり知り合うのではなく、老若男女様々な人と出会い行動してきたおかげだと思う。
また、人の心の闇もたくさん見てきたし、自分も経験したからだ。

上記のような個性って、他の人にはあまり見えないよね?
しかも発揮するところも少ないし。でも立派な個性だと思う。

他人の個性を羨ましがる前に、まず主と共に行動しながら、深く自分を見つめ直していけたらいいと思う。
個性を発見したら、自負心だし、自分に肯定的になれるよ。

<すべきこと>を前にして練習もし、生活の中でいつも「実戦」のように思って行なってこそ、<行なうべきこと>が来た時に手違いなく行なうようになる。
<行なうべきこと>が来たら、各自自分の次元どおりに行なうようになる。
人はみんな<よくできる能力と考え>がある。
<よくできる能力と考え>があっても、ちゃんと使わないから、ちゃんとならなくて害になるのだ。
(鄭明析牧師の明け方の御言葉より)

 
ランキング参加中!