摂理の彩り〜芸術と信仰生活〜

摂理で絵を描いてるMinoriの日記帳。芸術関連の備忘録。

宗教で絵を描くことのメリットとデメリット

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宗教画が好きな人は一定数いる。
私も荘厳な感じのキリスト教美術が好きで、大学では専門外なのにそういう授業ばかりとっていた。
家は仏教だが、仏画とか仏彫刻とかはほとんど興味なくて、西洋かぶれだったに違いない・・・
 

そんな私が摂理という、いわゆる宗教に入って絵を描くことになった。
今まで自分は絵の題材やファンタジー要素として西洋美術史、宗教美術を学んできたが、いざ自分が信仰を持って絵を描くというのが今でも不思議だ。
信仰者ではない人が特定の宗教絡みのことを描くというのはよくある事だけど、当事者にならなければ絶対にわからない心情とかがある。それは教理を調べたところで身につくものではない。
エンターテイメントとして描いてあるのはいいが、「そうじゃない!」というのが宗教人たちの本音ではないだろうか・・・
まぁでも私も原理主義的な考えは好きではないので、ゆるーく、日本の不思議な宗教観が寛容に変化していけばいいなと思ってる。
 

絵の題材として宗教を描くのと、実際の私みたいな信仰者が描くのと、どう違うのか。
それは、メリットとしては、心情がわかるかどうかの違い。例えば自分は摂理だが、摂理の教理がなぜそういう結論に至ったのか、神様はどういう心と願いをもっているのか。。。情や愛が移らなければ、絶対に表すことのできない世界を描くことができる。(でも実力次第だけどw)
 
逆にデメリットとして、想いが入りすぎて作品が一人歩きしてしまうということ。これは私の課題でもある。
万人がいいねを押してくれるようなものを作ることはハナからできない、というか、本当はそれを望むけど実際そうではない。
そもそも、教理を伝えるということが目的であれば、わかりやすく、親しみを込めたかんじで描くことはできるが、私の場合、もうほんとに神様と一対一で祈りのような行いなので、そこに誰も入ってはいけない世界。神様に栄光を帰しているだけで人は見ていない世界になる。
(つまり、私は教理を伝える気がないということかwww)

でも、自分がそのように絵を描いているという行為を通して、神様を感じ取ってもらえたり、摂理に対して誤解や偏見を減らしてもらったりできれば幸い。

 
宗教で絵を描くということは、簡単なことではないけど、試行錯誤しながらやってるというのは他の絵描きと変わらない。
しかし、誰に向かって発信しているのかというベクトルが違うので、それが面白かったりする。
昔は人の評価を気にして描いていたのに、いつの間にかまったく気にならなくなってしまった。私は宗教の絵を描いているようで、実は自分と向き合っていたのかもしれない。
 

いろいろ考えることはある。
やってみないとわからない芸術の世界。
摂理の芸術を神様がこれからどうなさるのか、もっと見てみたいと感じる今日この頃。

 
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