摂理の彩り〜芸術と信仰生活〜

摂理で絵を描いてるMinoriの日記帳。芸術関連の備忘録。

目的地に行こうと思っていたら行けなかった話

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先日、SNSでみた素敵な場所に行こうと思った。目指すは山梨。別に富士山が目的じゃないから雨が降っててもいい。
明日行こう!と思いたち、グーグルでルートを調べ、次の日準備して午前中から出かけた。
雨の中、ルンルン気分でバス停を乗り継ぎ、中央道のバス停で待っていた。

やっとバスが来たかと思ったら「予約してないと乗れないんです」と運転手さん。
予約しなくても乗れるが、席が空いてる場合、とのこと。満席ですと言われてバスを見送った。
高速バスなら当たり前じゃないかと自分にツッコミを入れたと同時に、たかが隣の県なのに予約必要なのかよ!と自分の非を合理化した。
バス停に行けばいいという一つのことだけを考えていた。バスタ新宿から予約して乗ればよかった。
 
「今日は天の御心じゃなかったか・・・」
どうせこれから違うルートで行っても帰りの交通機関が確保できないかもしれないし、ちょっとしか見て回れないだろう。
家に帰ろう、無理して行くこともない。そう思って家に帰った。中途半端な交通費だけ無駄にした。
雨が降っていてせっかく頑張って出て来たのに本当に残念な気持ちでいっぱい。

 
しかし、その日これを通して多くの悟りを得た。
・知らなければ目的地に行けない。
・無知のゆえに行けなかったのに、御心ではないと合理化する。
・あらかじめ行けるルートを確保していなければ、時が来ても乗れない。
・一つのことだけを考えるな。
・目的地に行くことは御心だ。しかし、どのように行くかが問題だ。

私たちの人生の目的地。それにどうやって行くのか。
クリスチャンならだれでも、人生の使命を全うして、天国に行きたいと願う。
しかし、しっかり知らなければ行けるはずのところも行けず、残念に思って来た道を引き返す。

小さな生活を通して、「ああ本当に救い主という存在を悟って知らなければいけないんだ」と強く感じた。

わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。
(新約聖書:マタイによる福音書:11章29節)

「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。
(新約聖書:ヨハネによる福音書:14章6節)

ちなみに、また晴れた日にリベンジしようと思う。
ちゃんと席予約したんだから!