摂理の彩り〜芸術と信仰生活〜

摂理で絵を描いてるMinoriの日記帳。芸術関連の備忘録。

子供の絵に大人が干渉してはいけない

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うちは母親も芸術系で、絵を描く人だった。
仕事がない休日は、よく絵を描いたり物作りをしていた。その横で私も見よう見まねで落書きをしていた。

夏休みの自由研究も観察をしたものを調べて絵に描いてまとめることをよくやった。
自分が塗っていると、母は横からアドバイスをしながら「もっとこう」「そうじゃない」とかいろいろ言ってきたのでちょっと煩わしかった。
最終的には私は筆を握るだけ、塗りは母が私の手を掴んでほとんどやった。じ、自由研究。。。(白目

母のことが好きだったが、私が絵を描くときだけいつもなにかと評価してくる。
もちろん本人は良かれと思ってしていることだ。

しかし、もっと上手くなるように言ってくれるのはいいが、私はだんだん「母が評価してくれそうな絵」を描くようになった。
小学3、4年生ごろに漫画のスクリーントーンやGペンの存在を知り、小遣いで手に入れて勤しんで描いていた。
母親に見せるとよく褒めてくれた。でもどことなく違和感を感じていたけど、子供だからそれがなんなのか分からなかった。

 
時を遡ってエピソード2。
幼稚園のとき(多分4、5歳)、自由に絵を描く時間があった。
私は意気揚々とクレヨンを取り、虹と空を描きはじめた。私の構想は、12色のクレヨンを全色つかって12色の虹にするというものだった。
赤色である上から描くと、下のアーチが窮屈になると計算し、下のアーチから上に重ねていこうと計画した。(よく考えたよねぇ;)
下のアーチから順番に、黒、白、茶色、紫、・・・と色を重ねて、そこで自由時間が終了してしまい、先生に声をかけられた。

後日、私はびっくりするようなことを祖母から聞いた。

「先生が、Minoriちゃんがこの前黒とか茶色とか紫を使って虹を描いてて心配になったって言ってた」と。

つまり、”この子精神的に大丈夫か?”ってことだ。
非常に悲しくなって祖母にだけこっそり伝えた。12色で下から描こうとしたのだと。でも時間が来てしまって全部描けなかったと。
今でも鮮明に覚えてるから結構ショックだったんだな〜。
大人ってそういう風に見るんだと、子供心で感じ取った。変な構想するのやめて普通の絵を描こうと思った。あはは〜☆(^ω^)

 

こんなことが他にもたくさんあったから、子供の頃から絵を描くことを一番の糧としてきた私は、人の目を気にして成長してしまった。
子供の一番大切にしているものの中に他者が介入してきて干渉することが、どれほど恐ろしい事なのか。

 

自分の反面教師エピソードをずらずら描いたが、子供は本来とても頭が柔らかくて自由な存在なのだ。
私が先日、摂理2世の絵をちょっと見せてもらった時、もうツッコミどころ満載の最高に面白い絵だった。
本人は真面目に描いたのだ。傑作品だ。はなまるをあげます!!
でも、子供が描いた絵はその子の世界なので、大人には理解できない。
私も子供の頃、こんなに自由に描きたかったなと思ったりした。

 
子供の世界は子供だけのものであり、大人が干渉してはいけない。
特に、芸術分野になればなるほど、自由さや本人のアイデアが大事なので、そこに大人の凝り固まった固定観念を植え付けてはいけない。
大人から見て「もっとこうすればいいのに」とかいろいろあるけど、それは見守りながら成長する上で見て経験して分かってくることなのだ。

空が青いことは生活していれば子供は知るようになるのだ。
なのに、「なんで空を赤くしちゃったの?空は青だよね?雲は白いよね?土は茶色に塗るでしょ?」と隣で言う必要があるだろうか。
絵の中では黄色い空だってピンクの空だっていいと思う。(夕焼けのピンク好き)

 
教えることと、見守ること、アドバイスすることと、上達させること、いろんな方法があるけど、やっぱり子供の感性を大事にしてあげないとなと思う。
「これは違うんじゃない?」という言葉をぐっとこらえて、まずは相手の構想を聞いてあげる。

摂理はそのへんすごく発展してると思う。大人同士のコミュニケーションでも。
教会では周りの大人たちが教えるところは教え、自由にさせるところは自由にさせている。(もちろん、”自由”というのは”放置”ではない)
教会で幼稚園作ったら?と思うぐらいににぎやか。

摂理の子供たちが、また、日本の芸術をこれから担うであろう全ての子供たちが、感性豊かにのびのび育ってくれることを願ってやまない。

ちなみに、今は神様のために、永遠のために絵を描けるからとても幸せだなと私は思っている。感謝します。

 
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