摂理の彩り〜芸術と信仰生活〜

摂理で絵を描いてるMinoriの日記帳。芸術関連の備忘録。

信仰を持つこと依存することの違い

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日本では、信仰をもつ、特定の宗教を信じる人は心が弱い人として認識される。
なにか過去に問題や壁にぶつかり、1人では立ち直れなかった人がすがるものとして。
だから私もそう思っていて蔑んでいた部分もあった。

しかし、私は自分が信仰を持つようになって、そうではないとハッキリ分かるようになった。

 
まず、信仰は「依存すること」ではない。
それがないとダメだ、というのは共通するが、意識のベクトルが違う。
本当の信仰とは、神頼み人頼み、他力本願のような依存とは違う。

 
摂理の信仰は、「意志」がある。
自分でこうしよう、こうしたい、行ってみよう、出来るやろう!
意識が上のベクトルに向いている。依存とは明らかに違うのだ。

もし、信仰を持っていて、それに”依存”している形であれば信仰の点検をした方がいいと思う。

 
では、摂理の信仰の「意志」というはどういうものか。
それは「愛すること」だ。

依存はどちらかといえば「愛してほしい」という感情だと思う。(共依存とか厄介だよね)

このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。
(コリント人への第一の手紙:13:13)

使徒パウロも「一番は愛」だと残した。
キリスト教は愛の宗教だという。
キリストが全て愛で行なって犠牲になって生きたこと。

鄭明析先生は、その愛に感銘を受け、まさに聖書通りの愛を実践した。
その通りにするって、凡人の考えじゃ到底できない。
周りから狂ったとまで言われた。

でも、私は信仰という「意志」があれば、敵でも愛することは可能だと思う。なぜなら、すでにその道を開いて足跡をつけた人がいるから。

 
信仰を守るのは簡単なことではない。
周りに否定されても意志を持って生きてきたメンバーがたくさんいる。
依存性と信仰は全く持って違うのだ。
心が弱かったり途中で挫けたらできないことなのだ。

そう言う面で私は信仰を持つことに誇りを持っている。
本当にいいものに出会ったなと思う。

もし私が信仰を持てなくて、普通に生きたら絶対異性やお金、周りの人に依存して生きていたはず。

感謝しかないから、愛の意志を持って生きていこう。

 
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