摂理の彩り〜芸術と信仰生活〜

摂理で絵を描いてるMinoriの日記帳。芸術関連の備忘録。

意識高い系の会話の中に答えはあるのか

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東京に来てから違和感を持ったことの一つに、リアルに”意識高い系”はいるんだということ。

田舎ではあんまり見かけないし、そもそも車社会なのでそんなにカフェ立ち寄ったりしないし。
 

お隣の席で一対一で話す人たち。性別は関係ない。男女半々な感じ。
1人がメンター的な人で、もう1人が相談者。
メンター的な人はつらつらとお説教のような自論を語ったり、相談者の悩みを聞いたりしている。

都会あるあるかもしれないなー。

内容は聞きたいわけじゃないけど聞こえてくる。
主にキャリアの話、お金の話、人生の目的の話など。

 
メンターたちが言ってることは確かにそうだと思うことばかり。
しかし、その人たちは、相談者の人生の責任を負ってくれるわけではない。

 
近年、自己啓発セミナーやキャリアセミナーが至る所で開催されているのを見ると、将来に対して不安を抱え、精神的な指導者を求めている人がとても多いことがわかる。

働き方もライフスタイルも自由になり、人生の道の選択肢が増えた今、どの道に進めばいいのかわからない人が多いのも納得。
自己啓発的なものでなくても、占いに走ったりする人もいる。
しかし、そこに“最終的”な答えはあるのか。無い。

運命は決まっているのではない。
道自体が運命で、どの道を選択するかによって、その道がその人の運命になる。

鄭明析先生が予定論で話した言葉。
予定はあらかじめ決まっているのではない、人間の責任分担に寄るのだ。

私はこれ、宗教やってる人から発せられる言葉だと考えた時に衝撃を受けた。
結局は天国も地獄も自分次第だというのだから。
ただ信じれば救われるという教理ではないことがわかる。

 
私達は、肉体だけの人生ではない。肉体がなくなってからも人生がずっと続く。
これをはっきり教えてくれるメンターはどこにいるだろうか。

お金や異性、家族愛、人間愛では解決できない人生の虚しさ。孤独感。将来のこと、死後のこと。
これを若い時に先にわかって解決できるなら本当に喜ばしいことだ。

肉体の成功のためだけではなく、最終的な目的地・永遠な人生の幸福をはっきり教えられる人が、本当のメンターだと私は思う。

出会った人は幸いな人だ。