摂理の彩り〜芸術と信仰生活〜

摂理で絵を描いてるMinoriの日記帳。芸術関連の備忘録。

信仰と愛は自分の”意思”。

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信仰と愛は自分の”意思”。

バレンタインデー。
すっかり忘れていた。
駅のゴデ○バの行列を見て「ああ、そういえば」と思い出した。

 

(ちなみにバレンタインにチョコを渡すようになったのは菓子メーカー「モ○ゾフ」の宣伝による。
日本独特の文化であることは違いない。
でも今は恋人にというより、自分用や友達用の需要が多いけど。)
 

恋人同士の記念日は多い。お隣の韓国は年中イベントイベントで盛りだくさんだそうだ。
イベントを作ることで、熱が冷めないようにしてるんだと思う。
 

誰かを瞬間好きになること、恋は簡単なことだ。一瞬の”感情”だからだ。
でも、喜びとときめきをずっと継続するのは難しい。
自分を見てほしい、愛してほしいと思ううちは、相手の気持ちを優先にすることはできない。
だから続かない。
人間の足りない愛で満たそうとするから、ますます渇望する。傷を受ける。
「愛してほしい」から愛するというのは、真実な愛なのだろうか。

 

信仰も「神様に愛されたい」と思ってするものではない。
信仰は慰めではない。
愛は慰めではない。
私は摂理に来てそう悟った。

 

信仰も愛も、自分からする”意志”を持たなければすることができない。
愛そうとしてこそ、愛せるし、赦そうとしてこそ、赦せる。

 

愛するということは、その相手にとって一番の願いをしてあげること。
神様が願うことをしてあげたいと思うこと、そのためにもがくこと。
自分の意思で、誰かに言われなくても行うこと。

 

信じ、愛する意志のある人に、より一層神様は共にされる。

 

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