摂理の彩り〜芸術と信仰生活〜

摂理で絵を描いてるMinoriの日記帳。芸術関連の備忘録。

芸術の価値性はどこからくるんだろう

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芸術の価値性はどこからくるんだろう

渋谷駅のパブリックアートになっている「明日の神話」。岡本太郎が1969年に完成させた作品だ。
原爆の生々しさというか、恐ろしさが瞬時に伝わってくる。
それなのに、「明日の神話」という希望的なタイトルがつけられたのは、深い意味のあることだろう。

 

この絵は駅に馴染んでしまって、とても巨大なので、人々は気にも留めない。
たま〜に私のようにいろんな角度からパシャパシャ写真を撮っている人もいた。
価値が分からなければ、何万回見ても普通のものだと思う。もしくは、「ちょっとすごい何か」。

 

絵を描いていると、それが当たり前のようになってきて、価値を見失う時がある。
「自分はこんな絵を描いていて、一体何の意味があるんだろう・・・?」
「自己満足ではないか?」
「人が見て感動するのか?」

自分自信の価値が分からなければ、また、神様がどれほど愛してくださっているのか悟れなければ、すぐに価値性を失う。
すぐに揺れるし、自暴自棄したくなる時もある。

神様が選んで下さらなければ、私は絵を描くことの個性は与えられなかっただろうに。
その他の様々な分野の人も同じく。
その人を選んで育てて、時になったら使われるようになる。

 

価値を失うなと何度も何度も御言葉でおっしゃる。
「あなたは才能がないから違うことをしなさい」こんなふうにおっしゃたことは一度もない。
今できなくても、明日もできなくても、それでも天は人を育てる。
自分で何万回見ても良いところがなくても、それでも天は「良い」と言って御言葉で導く。

 

芸術の価値性は、その人自身からくる。
その人自身が価値がなくて、作った作品だけ価値があるということはない。

神様が自分を「良い」というならば、自分の価値性は、きっと神様からくるんだと思う。
世間がどんなに「悪い」「価値がない」といっても、神様から認めてもらえればそれでいい。
作品も、自己満足ではなく、天が満足なさる作品にしよう。

 
何をもって芸術作品の価値性が決まるのか。
摂理では少なくとも、聖三位の御心の中で栄光を期して創り上げたものは、全てに価値がある。
お金には換算できないぐらいの、永遠な価値だ。

(ちなみに、教祖が「気に入る」とか「気に入らない」とかで価値が決まる文化は摂理には無い)
 

人間の目と神様の目は違う。
摂理で絵を描いていて、描くたびに不思議だと思うしかない。

 

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