摂理の彩り〜芸術と信仰生活〜

摂理で絵を描いてるMinoriの日記帳。芸術関連の備忘録。

頑張ってるけど才能ないなって思ったあなたへ

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頑張ってるけど才能ないなって思ったあなたへ

個性や才能は開発すれば伸びてくる。
しかしながら、「もともと才能ないのに、自分はこの分野をしてきてしまったんじゃないか」と考える人もいる。

「神様がくださったタラント(生まれ持った個性や能力)を間違って認識して思い込んでるんじゃ?」
「もしかして、音楽より絵画の方が合ってる?」
「自分が”好きなこと”と”伸ばすべき所”は違う?」

・・・「何をしていけばいいのか」の悩みは尽きない。
それは、仕事でも同じだし、拡大すると人生でも同じことだ。

 

以前、摂理で芸術をする人たちが集まった時に御言葉が伝えられた。
そのなかに、結構衝撃的な言葉があった。

 

『神様は、あなたを生まれる前からそのように育てた。』

 

生まれる前から。。。
生まれてきてからじゃなくて。。。

どういうことだ?

 

胎児の時は、「自分は絵が描きたい」とか「サッカーしたい」とか考えることはできない。
親も「この子にこれを習わせたい」という願望はあっても、子供がやりたくないと言ったら出来ない。

 

私が思うに、神様は、その人が生まれる前から環境や経済、状況、親の考えなどを整えておいてくださったということだと思う。
そして、その人の個性を備えさせ、興味を持つようにさせ、開花しやすいようにしてくれるということだ。

 

だから、「自分は絵を描いているけれど、才能ないのに絵を描き続けてしまった」とか「柔道をずっとしてきたが、なかなか上達しなくて弱いままだ」とかで落ち込む必要はない。
”続けていること自体”が、もうすでに才能と個性、天の御心なのだ。
もし、その人の本質的な個性でなければ、いろいろやっても途中で自然消滅するようにさせる(興味がなくなるとか)。
続けるようにさせたのは、神様の御心あってのことだと思う。

 

結局、あらゆる分野を行ってきたとしても、最後に残るものが重要だということだ。

 

もし自分が現在やっていることに対して「あれ?違うかな?」とおもったら、そこでダラダラ続けないで一旦止まって考えてみることだ。
そして、再び祈って聞いてみること。

 

人間が自分を作る時、「神様の構想と計画どおりに作ること」を願い望むなら、
神様はその人に「神様の考え」をお与えになる。
だから「神様の考え」どおりに作られる。
(鄭明析牧師の明け方の御言葉より)

 

人間は一寸先もわからない。
聖三位だけがご存知だ。

しかし、御心を諦めるのも、続けるのも自分次第だ。

 

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