西洋の宗教美術は、どのようにして神を表すかについて努力し研究されてきた。
イコン画を始め、宗教絵画、彫刻、聖書の装飾などなど・・・
この肉体の目に見えない神の姿と威厳は、神を知らない人にどう悟らせることができるのか・・・
哲学者、デカルトも神の存在証明を説いたことは有名だ。
神の姿を表現する、証する・・・宗教の課題ともいうべき難題。
聖三位がもし目に見えて登場したら、苦労しない・・・その場で「神様!」って声かけられるし(笑)そのまま描けばいいし(笑)
まぁ、神様を肉体の目で見れたら眩しすぎて失明するだろうねww
だから見えなくていいかもw
私は絵を描くとき、どうやって天の愛と天の姿を表すことが出来るんだろうと悩む。
御言葉を証するためにはどうしたら・・・?
先生の弟さんであるポンソク牧師が、芸術を学ぶある信徒に言ったそうだ。
「作品を作りたいなら、キリストの生を自分が生きてみないといけない。
自分がそのように生きてみなければ、決して表すことなどできない。
もしそれをしないで作品だけを作ろうとするなら、それはただの技術的な、表面的なものにすぎないんじゃないか。」
心からアーメンと思った。
結局、美術の世界以外においても、主を表そうとするなら主のような生を生きてみないといけない。
美しい作品を作りたいなら、美しい生を生きてみる。
人を感動させる作品を作りたいなら、人が感動する生を生きてみる。
それが理知ではないだろうか。
思い返すと、鄭明析先生はただひたすら神とキリストを証する人生を送ってきた。作品がその人生を物語っている。
神を表し、証出来るかどうか・・・
結局それは、私たち自身の生活や人生そのものにかかっているということだ。