摂理の彩り〜芸術と信仰生活〜

摂理で絵を描いてるMinoriの日記帳。芸術関連の備忘録。

文字や数字に色が見える「共感覚」を使ってみた。

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私は、文字に色を感じる。

 
・・・そこの読者、「( ゚Д゚)ハァ?」って顔しない。中二病じゃないよ。特殊能力なわけでもなんでもない。
その感覚は、子供の頃から大人になってもずっと消えずに、今に至る。

 

誰もが持っている普通の感覚だと思っていた

0は白、1は赤、2はソフトピンク、3はアクアブルー、4はサーモンピンク、5はエメラルドグリーン・・・

Aは赤、Bは緑、Cは黄色、Dはオレンジ、Eは黄緑、Fは薄い黄緑、Gは濃いオレンジ・・・
アは赤、イはオレンジ、ウは山吹色、エは黄緑、オは青・・・
名字、佐藤さんはオフホワイト、鈴木さんはひまわり色、高橋さんはレッド・・・
東は緑、西はオレンジ、南は赤、北は水色。

 

私の中で子供のころからずっと持っていた決まり?のようなもの。たとえ書かれてある文字が全部黒であっても。
「どうしてアルファベットは虹色に並べなかったんだろう?どうして赤いAの隣が緑のBなのかな?虹色に並べれば、きれいなアルファベットになったのに。」
そう考えて、本気で疑問に思っていた。

 

「共感覚」とは。病気なのか?

「文字に色が見える」という感覚、私は、誰もが当たり前で持つ感覚だと思っていた。
そしたら、違ったみたい。
ネットで「共感覚(シナスタジア)」と呼ぶと知った。特殊魔法ではないよ。

 

一般の人は持っていないというから(普通は大人になってから消える)、さらに衝撃。
・・・病気、ではないそうだ。
第六感、というか、とういった系統に分類されているみたい。繰り返すけど邪気眼じゃないよ。

 

さらに特殊な人だと、「音に味を感じる」とか「相手の人柄に色を感じる」「景色に音を感じる」いうこともあるそうだ。それはすごい。

つまり「共感覚」とは、ある一つの五感(視覚、聴覚、味覚など)に対して、もう一つの五感が付随して働くというもの。五感同士の干渉ともいうべきか。

 

慣用句的な「黄色い歓声」「考えが甘い人」とかそういうのとは関係ない。その人独特の感覚だ。
私が文字や言葉に色を付けたが、他の共感覚の人と同じではない。
私のように「視覚+視覚」の人もいれば、「視覚+嗅覚」「嗅覚+触感」、人それぞれ。

 

共感覚は神様が与えた素敵なタラント

これからもグラフィックデザイナーとして仕事をするつもりだが、今までで困ったことは特にない。
「色彩センスと自分の共感覚が合わなくて困った!」ということもない。色彩センスは後天的な学習からくるものだから、感性を磨いて芸術面において発達させれば身につけられる。

困ることといえば、「理解されない」ことぐらいかなww

 

共感覚者は数少ない。
神様が与えてくださった一つのタラントなのかなとも思っている。
どう使えばいいかよくわからないから、とりあえず鄭明析先生の詩に色でもつけてみた。
ご覧の通り、統一性がなく、色の流れや文字の視覚性や強調部分なども完全無視された組み合わせになる。
 

個性は誰にでも別々のものを与えて神様は創造したが、「自分は人と違う」「自分は劣っている」「自分は変な人だ」と思って委縮してしまう人も多い。
しかし、外見も中身も同じ人はいない。似た人はいても、よく見ると違う。双子でも。

 

全能なる神様は<人間>を「個性」で創造なさいました。
人の「顔と体の構造」はみんな同じですが、「考えるところ」が違うので、<行なうこと>が違い、<希望し追及すること>がまったく違います。

(中略)

頭は主であり、各肢体は私たちだから、<主>の中で一つに集まるようにするけれども、個性どおりに使命を果たし、働きながら、みんな一つになって行なって「御心」を成していくことを願います!

(鄭明析牧師による主日の御言葉から)

 

頭は主。各肢体は私たち一人ひとり。個性を大いに発揮できる摂理だ。

 

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