デッサン力。
―― それは、美大生を一瞬で絶望させる言葉である。(ミノペディアより☆)
デッサンは美術をする上で基礎中の基礎だ。
デッサンが出来ないと、いくら美しい色を塗れたとしても、いくら技術を駆使した作品でも、「残念な作品」「惜しい作品」になる。
逆に、デッサン力が目に見える作品は安心して観ることができるし、努力したことが伝わってくる。
私Minoriは、デッサンが本当に苦手!!(てか「自分デッサン得意です!」っていう方どれぐらいるの!?超上手い人でも言ってるの聞いたことないよ!?謙遜だと思うけど!)
とくに怖いのは人物デッサン。あらゆるものの中で一番難しいのは人。
鄭明析先生も昔、絵を描くメンバーに「人物を描きなさい。あらゆるものの基礎だから。」とおっしゃっていたそうだ。か、核心突いてきた・・・!(グサッ
静物や石膏はコツをつかめばなんとか。
高校、大学と、デッサンに苦しめられた。しかも続けてやらないと腕が鈍る。
今はもう完全に鈍ってる。。。。
デッサンの教え方は美術の先生によって人それぞれだと思うが、私が習ったことは「塊をとらえること」だった。
石膏デッサンでは、表面の凹凸によってできる陰影は、光が覆いかぶさっているものだから、そこに囚われてはいけない。大事なのはいかに“塊=本質部分”を捉えることだ。と・・・
また、人物や生物はどこを観て描くのか?
人は凸凹が複雑だ。動物は毛があるし。皮膚を見て描く?いや、骨や筋肉を観て描くのだ。
骨格と筋肉の動きによって、表面に陰影が現れるからだ。
何でも「本質から」なのだ。
デッサンをするにしても、骨や筋肉という本質部分をとらえて描かないと薄っぺらい絵になるように、人生の本質が分からないと、表面だけ繕っても「残念な生き方」「惜しい生き方」になってしまう。
また、デッサンをすることは、自分自身が「必要性がある!」と思わないと行なわない。
デッサン力を身につけるのは一日にして成らず。
平素から意識していないと、いざというとき「あ~あの時やっておけばよかった・・・」と後悔する。(Minoriは今している;)
これは御言葉(真理)で人生をを学ぶことにも当てはまると思う。
自分が「必要だ!若いうちに知っておかないと!」と思わなければ、いつまで経っても実践できない。そうしていて<時>を逃してしまう。
だから、人生において最初に「真理」を学ぶ必要性があるということだ。
デッサンも、人生を学ぶことも、必要性を悟って行うのは自分。
本質を捉えようとするかしないかも自分次第。
<すべきこと>を後回しにしたら「運命」が変わっていく。
(鄭明析牧師の明け方の御言葉)
<時に従ってすること>が「成功」だ。
(鄭明析牧師の明け方の御言葉)
デッサンを通して学ぶことはとても多い。