摂理の彩り〜芸術と信仰生活〜

摂理で絵を描いてるMinoriの日記帳。芸術関連の備忘録。

自分のやってることと、神様の御心が違ったらどうしよう?

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最近、私の元に本当に多くなってきた相談が「自分がどういうことをすれば御心なのかわからない」「この分野でいいのかわからない」「進路をどうすればいいのか?」。
・・・こういう、”御心”と”使命”を絡めた質問。
 

私はこう話す。
「今考え付くことを実践しないと見えてこない。」
「神様のためにしているなら全てが御心だと思う。」
「あなたの意志次第ですべてが変わる。絶対に御心でないときは、絶対止めてくださる。」

私が経験してきたことが、そうだったからだ。

 
とりあえず、自分がどんなことをしてきたのか経緯から。

私は幼少の頃、エレクトーン、剣道などなど・・・あらゆることを親から試された(?/笑)が、すべて途中放棄した。
エレクトーンは何度習っても左手と足が使えない、楽譜が読めない。そもそもなぜみんなが幼稚園で昼寝してる時に私だけ起こされてレッスンなのか不満しかなかった。寝たかった。
剣道は興味を持って始めたが、弱すぎて&先輩が怖くて&向上心がなくてやめた。大人の覇気に耐えられるほど自分の精神は強くなかった。(メンタル強いっていうだけでも才能だと思うよ)
私もそれなりに試合に勝とうと頑張った。が、子供ながら「私が続けてはいけないな」となぜか悟った。

教会の使命もいろいろ試した。
「モデルにならない?身長高いし。東京のモデルのレッスンに行ってみなよ!」
「誰でもモデルになれるわけじゃないんだよ〜^^身長もタラントだよ!」
当時の教会の姐さんから言われて、少し自信なく、とりあえず行ってみた。背の高い綺麗な人ばかりだった。
そのまま入って摂理のモデルになっても良かったが、やっぱり違和感を覚えた。
身長が高いからといってモデルになれるわけではない。逆に、身長が足りないからといってモデルになれないわけではない。それが神様の御心。
そういうわけで、やはり「これは違う!」と直感で思った。

聖歌隊は結成から約2年続けた(いわゆる初期メンってやつ)。しかし、私抜けます宣言をしてやめた。歌うのは大好きだった。
御心が変わったのをはっきりと感じたからだ。歌の才能は、まぁあると思う。絶対音感ほどではないが音程の狂いは無い(教会の歌やってる姐さんに褒められた)。肺活量がちょっと足りない感じ。
だから、できればずっと続けたかった聖歌隊だったけど、卒業することにした。

 
自分の使命を悟るまで随分時間がかかった。
神様が生まれる前から育ててくれた個性は、やっぱり絵を描くことしかないと悟った。
それは、美術系のワークショップをした時のこと。
摂理の御言葉を聞いて3年半経ったときだった。
「ここに導くために、いろいろさせてくださったんだな」と感じた。無駄なものは何一つなかった。どれも全部御心だった。
で、現在に至る。

 
自分の役割や使命というのは、誰かから「あれしなさい」「この道に行きなさい」と指示されてするものではない。
また、「あなたの才能はこうだね!」と褒められたとしても、自分で納得しないと行う力がない。
行う中で、「そうだ!これだ!アーメン!」という経験をしてみてほしい。
 

神様の御心と自分の意志の歯車がぴったりとあったとき、「そうだ!これだ!」と、二人三脚をするような一体感を味わう。
自分の個性とタラントに感動し、神様に感謝するようになる。

 
今ある自分の最善を尽くして、「これをしたいな」というものを見つけて実践だ。
もしなかったら、御言葉に出てくる伝道、祈り、聖書を読むこと、運動などなど・・・片っ端からやってみればいいと思う。
繰り返すが、御心でないことは絶対に止めてくださる。
自分の位置と使命を授かることを、いつも求めて祈ってほしい。

考えるだけでやらなければ、考えた意味がない。

(鄭明析牧師の明け方の御言葉より)

<使命>も「自分に合う位置」だ。
<正確な位置>でなければ自分の能力をちゃんと発揮できない。

(鄭明析牧師の明け方の御言葉より)

目的をもって長い間、持続して行ないなさい。
そうすれば労苦した分、実を結んで得るようになる。

(鄭明析牧師の明け方の御言葉より)

 
今年もあと半年。
実践で実を結ぶ年にしたい。

 

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