摂理の彩り〜芸術と信仰生活〜

摂理で絵を描いてるMinoriの日記帳。芸術関連の備忘録。

感覚と感性の時代に、本当に必要なもの

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インスタグラムが日本にも定着するようになった。
中には、インスタ疲れの人もいるみたい。
お店はいかにインスタ映えするかに躍起になり、「いいね!』の数がまるで自分の価値であるかのように中毒になっている人もいる。
 

私を含めて若い人は、「きれーい」「かわいー」「おしゃれー」「すごーい」の4つを使いわけて、いろんなものを褒める。
日本語って、もっと繊細でいろんな表現力があって、美しいものだったのになぁ・・・
でも、すっごい便利なんだよねこの言葉たちw
こんな風に、とにかく感覚が物事の良し悪しを左右する極的な時代の風潮になったわけだ。

 
世の中は今、”感覚”と”感性”の時代。
感覚的な光のアートが人を呼ぶのもその傾向かと。また、たくさんのクリエイターがいて各々の表現をしている。

私もこのブログやSNS、創作活動をやっていて、より感覚的に刺激的に訴えるにはどうしたらいいのかをよく考える。もちろん仕事でも。
人間は刺激のあるものが好きだ。マンネリを一番嫌う。
人の好奇心は五感から始まる。そして、より深くに入っていく門になる。
だから、最初の門を開けてウェルカムするにはどうしたらいいのかと日々思っているところだ。

 

ところで、インスタを見てると、ほんっとに”考えなくていい”。
スクロールして、感覚と感性で味わって満足する。
これが、たまに疑問に思うのだ。
「感覚だけで終わっていいのだろうか?」・・・

 
刺激と感覚は最初の門に過ぎない。
しかし、多くの人がそこで満足して、物事を深く考えられなくて勿体無いことになるのではと思う。

一つのアートに触れるとする。
そこで、「なんかすごい」で終わったら、私は残念に思う。鑑賞した作品の本来の良さと価値がわからないまま終わってしまうからだ。
感動はしたが、なぜ感動したのか、すごいと思ったのかを考える人が少ない。

 
物事を深く考える癖をつけなければ、感覚で生き、感覚で判断する。そのときの気分によって人生が変わってしまう。とても恐ろしいことではないだろうか。

繰り返すが、感覚と感性は”門”に過ぎない。
そこから、もっと深く入って世の中を見つめ、自分の人生を点検する人が、若い人の中にたくさん現れればいいと思う。

感覚と感性の時代だからこそ必要なのは、もっと深く考えること、理論的に考えること、学ぶこと。
また、自分のなかで絶対的な基準、つまり真理の軸をつくることだ。

学べば簡単に分かるものも、学ばなければ一生過ぎても分からず、
数百年、または数千年過ぎても分からない。
(鄭明析牧師の明け方の御言葉より)

万事すべてのことも「考えること」次第で、
天国にもなり、地獄にもなる。
(鄭明析牧師の明け方の御言葉より)

感覚派のMinoriも、退化した左脳をちゃんと使おうとがんばってるところだから、まずは行なってみませう。
摂理も、信仰を持つことも、「あ、なんかいいかも」って思ってくれれば、このブログもやり甲斐があるってもんです。

 
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