摂理の彩り〜芸術と信仰生活〜

摂理で絵を描いてるMinoriの日記帳。芸術関連の備忘録。

愚痴ラーは祈らないからもったいない!

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今週は祈りについての御言葉。
自分もちょっと祈りを頑張って次元を上げてみようと思う。

 
さて、私は職場でいろんな愚痴を聞かされる。前の職場でも愚痴を聞く係。
誰にも言わないし、言いやすいのもあるんだと思う、雰囲気的に。
おじさん、おばちゃん、若い後輩、上司・・・とにかくいろんな人がいろんなこと言うからある意味聞いてて飽きない笑
へ〜この人、そんなところに問題意識を持っていて、そういうところ気にする人なんだ〜って。

女性は特に共感されることが安心材料だから、うんうん、と聞いている。
私はどちらかというと、愚痴もぜんぶ笑いのネタに変えるタイプ。みんな笑った方がいいじゃ〜ん。

 
愚痴の内容を聞くと、ほんとどうでも良いことから、確かに問題だ・・・と感じることまで様々。
しかし、私はこう思う。

「神様に祈ればいいじゃん!」

 
目をつぶって(つぶらなくても)、神様に「あーでこーで、こうなんで私は苦しいです、御心ならばこうしてください」って祈れば、小さな問題はわりと解決してくださる。
状況を変えたり、人を送ったりしながら。だから、祈らないのはもったいない!
また、長いスパンで成し遂げられることは、長い間祈らないといけない。
 

大概の愚痴は、聖三位と対話できない・祈れないことからくる辛さだと気付いてきた。
どう頑張っても自分一人ではできないことや、人間的に考えたら不可能なことが成されるのが”祈り”だ。

 
愚痴ラーになる前に、祈ラーになってみることだ。
神様に嫌だったことや辛かったこと、疑問に思ったことをチクってみると、結構素敵なやり方で祈りに応えてくださる。
もちろん、人を貶めるような悪感情の祈りは神様が望むかというと、言うまでもない。
全てが良い方向になるように、神様に任せてみるのもいいかもしれない。

祈れば「恐れ・不安・心配・憂い」がなくなります。祈れば「暗闇」が消え去ります。
(鄭明析牧師の主日の御言葉)

「祈らなかったのに、ただしてあげることはできない。
<祈り>は『仕事』だ。
<ご飯を炊くこと>をすれば『ご飯』になり、<家を建てること>をすれば『家』が建てられるように、祈れば祈ったとおりになる。
<祈り>は『自分の体で直接願うことをすること』と同じだ。
だから祈れば、肉が働くのと同じで、祈ったとおりになり、私エホバが働きかけて解決してあげる。
祈れば<その言葉>が『実体』になって言葉どおりになる。<祈り>は『仕事』だ。祈りなさい。」
(鄭明析牧師の主日の御言葉)

 
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