もう肌寒い。
ルミネの広告もいつの間にか秋仕様に。
今年の秋のキャッチコピーはこれ。
祈りの御言葉の週だから、ほんとこれ啓示かと思ったw
マガジンにはこう書いてある。
メールやメッセージが伝達手段として日常になり、自己表現の手段となった今。それはあたらしいコミュニケーションの可能性を広げました。その一方で、大切なことを、「声」にする機会は減っているのかもしれません。「声」には、その人の息づかいや体温がまじっています。自分の意志を表現することは、一方通行では成立しません。社会の中で日々働き、他者と関係を築き、まだ見ぬ世界との接点を生んでいく。ちゃんと自分の「声」で伝えたいというのは、他者に対する愛情の証。また「声」を聞きたくなる人というのは、愛されている証でもあると思います。
(コピーライター/尾形真理子)
私は御言葉を聞いて初めて、誰よりも自分のそばにいてくれて、誰よりも自分の心をわかってくれて、誰よりも愛を注いでくれる存在は聖三位しかいないとわかった。
また、一番「声を聞きたい!」と思う存在になった。
どうやって、この限りなく降り注がれる愛を言葉で表現できるだろうか。
自分の器が小さすぎて、溢れてしまうのが申し訳ないぐらいだ。
さて、そんな神様と意思疎通をはかることができる権利を、私たち人間は与えられた。
それが”祈り”だ。
まるで、夫婦のように、恋人のように、時には友達のように、家族のように。
声に出して話してこそ、神様も自分の状況や心をわかるし、なんとかしてあげようと働きかけられる。
<愛の表象>はなんですか?「対話」です。
真実で熱い愛をする人たち同士で<対話>がないはずがあるでしょうか?
<対話>が「愛の実相」を最高に表します!(中略)
<愛の強度>は「対話の内容」で表れます。
<他人との対話の内容>と、<兄弟たちとの対話の内容>と、<自分が愛する人との対話の内容>とは違います。
<対話の内容>によって「愛の強度」が表れます。(鄭明析牧師の主日の御言葉より)
祈りと対話が愛だとおっしゃった。
愛は声に出して、また、状況的に祈りが難しい時は心の中で。
いつも考えから、一番そばにいる存在を忘れないようにしていきたいと思う。
(画像引用:ルミネマガジン)