摂理の彩り〜芸術と信仰生活〜

摂理で絵を描いてるMinoriの日記帳。芸術関連の備忘録。

芸術家が持たなければいけない精神

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芸術家は繊細だ。
屈強なようでいて、けっこうガラスのハート。
普通の人が悩まないようなことで悩んだり考えたりする。
神経質というか、物事に対してとても敏感なのだ。

以前、芸術家に対しての御言葉でも「芸術家は繊細に創造された」と聞いたことがあった。
その言葉を聞いて、自分の抱えていた矛盾に納得し、自分を受け入れられるようになった。

 
しかし、芸術活動をする上で、繊細なだけではいけない。
”強さ”と”繊細さ”を兼ね備えていなければ、道を切り開くことはできない。
 

強さというのは、自分の芯。
しかし、人に対して強くあるのではただの性格悪い人になってしまう。
自分の伝えたいことや想いは作品に込めて、それをわかる人に感じ取ってもらえばいい。
道を切り開く強さ。チャンスを掴む強さ。再び立ち上がる強さ。
それははっきりした目的があってこそ持つことができる。
 

繊細さは、作品を作る上での感性。
五感をフルに活用して、感動した通りに残せばいい。
しかしあまりにも繊細なことを気にして、傷つくことを気にしていたら、心が壊れてしまう。
自分が思っているよりも、人間は精密にできている。

<神経>は「刃物の刃」のように鋭利です。しかしそのままにしておいたら「刃物の背」のように鈍いです。
<刃物>も<道具>も「使ってこそ」輝くように、<神経>も「使ってこそ」輝きます。

しかし<神経>をよ~~く使わなければなりません。
<神経>を悩み、心配、憂い、不安のほうに使ったら、「病気」になります。
兄弟(仲間や周囲の人の意)の言葉と行動に傷を負ったこと、無念な思いをさせられたことにずっと神経を使うと、神経過敏症、恐怖症、鬱(うつ)になります。

(鄭明析牧師の主日の御言葉)

芸術家が神経をどこに注ぐべきかは、言うまでもない。

自分自身について何か言われようと、作品にケチをつけられようと、そこに神経を使ってすり減らすべきではない。(もちろん有益なことは聞きれるべき)
落胆するより、他にすることがあるのではないか。

なんでこんなことで落ち込むんだろうと自分に失望せずに、神経を注ぐところにもう一度集中してこそ、前に進むことができる。

この時は<自分のすべきこと>に神経を使い、<神様と聖霊様と御子主>に神経を使い、<より生産的なこと>に神経を使って、<神経と考え>を「ほかの方向」に変えなければなりません。
<体>もよく使わなければならないように、<神経>も分かって「よく使わなければ」なりません。分かりますか?

(鄭明析牧師の主日の御言葉)

強さと繊細さを間違って使ってしまったら、精神的に苦労が多い。
芸術家が自分をうまく治めることは大変だ。赤ちゃんを育てるように。

治める方法を摂理の御言葉で学んでいるから、私はしあわせだと思う。

 
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