摂理の彩り〜芸術と信仰生活〜

摂理で絵を描いてるMinoriの日記帳。芸術関連の備忘録。

それぞれの個性に合わせて神様は働きかける。自分への御心を知るために考えるステップ。

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先週と今週の御言葉が衝撃的過ぎて、私には余りにも実感するしかない名古屋旅行だった。

さて、御言葉の内容。
神様はこの世の創造者。だからもちろん、この世の全てを真理で治めて運行される。(人間の行いは神様の御心じゃないことがたくさんあるが…)

神様は秩序であり、法を定めて治められる。
法、というと、縛るものとして認識されがちだが、そうではない。愛だとおっしゃった。
束縛する愛ではなく、導く愛。また、無条件の愛。個人、一対一でなされる愛だ。

<神様の法>は実は「たった一つ」です。それは「愛の法」です。「条件のない愛の法」です。だから神様は最後まで「愛の法」で接します。
(鄭明析牧師の主日の御言葉)

御言葉は祈って霊的に解釈しなければ誤解を招く。自分を縛るものとして認識してしまう。
私なりにではあるが、最近の御言葉を噛み砕いて考察してみる。自分のために備忘録としてw

 

1、あの人とこの人と私は違う人

「あの人はなんでその行動が許されるんだろう?」と思う時があると思う。みのりはきっと、フリーダムすぎて”思われてる方”かも笑
基本的に、神様は基本的な御心の中で一人一人に働きかけ、全く別の個性として接する。
みのりには芸術人への法が適用される笑(どんなのかって?…神を賛美せよ、ひたすら栄光を帰しなさい、芸術で主を証しなさい、技術を上げなさい、などなど!とにかく神への賛美なのだ!)

なぜ人は他人を見てしまうのか。比べてしまうのか。また、比べるどころか干渉したりもする。人生の意思決定に深く入り込みたがる厄介な人もいる。

それは、神様と一対一で繋がってないから。言葉ではわかっているが、他人を見ると自分のコンプレックスや短所が見えたりする。そんな自分が許せない、劣等感。
神様はそんなこと思ってないのに、勝手に自分や他人を裁きはじめる。
あの人は伝道出来てるのに私は…。
この人はやりたいことやれて自由でいいなぁ。
肉的な私はあの人みたいに霊的になれないなぁ、罪が多い。
もう私は若くないなぁ。
などなど…
御言葉はまずしっかりと天との一対一で聞かなければ→霊的に聞かなければ、大きな誤解を招くことになる。

2、「霊的に」の意味を履き違えていないか

「霊的にしなさい」「霊的に考えなさい」という御言葉がよく出る。これは、どういうことなのか。
別の言葉でいうと、神霊に。
でも、この御言葉だって「霊的に」解釈しなければ肉的に解くことになり、さらに自分を苦しめることになる。
「霊的に考える、霊的に行う」とは、「神様の考えの通りに行うこと」だ。
神様の御心とか、霊的なことというと、「伝道」「御言葉を伝えること」「賛美を捧げること」などがまず思い浮かぶ。・・・さて、これだけが神様の御心だろうか?
もちろん、それが大事ではある。しかし、そればかりが”御心”と肉的に解釈してしまったらどうだろうか。生活が苦しく、肉体を生かさなければならない全てのことが苦痛でたまらなくなる。買い物だって、絵を描くことだって、人とご飯に行くことだって、すべてにいちいち「罪悪感」が伴ってしまう。「霊的なこと行ってない!」という自分の考えに縛られる。これはおかしい。

御心とはなんだろうか?
それを行うのが神様の願いであるが、私たち人間が考えるそれとは天と地の差である。人間は自分の脳みそで考えられる範囲でしか選択肢がない。どこに御心があるかわからないのに、「これは身の丈に合わない」とか「これは肉的な行いだ」とか決めつけてしまう悪い癖がある。

わが思いは、あなたがたの思いとは異なり、わが道は、あなたがたの道とは異なっていると主は言われる。天が地よりも高いように、わが道は、あなたがたの道よりも高く、わが思いは、あなたがたの思いよりも高い。
(イザヤ書55章8−9節)

ちなみに、名古屋旅行、ただ単に私はペンギンを見たいがために行った。しかし、結果、神様が自分の個性を通してよく使ってくださり、自分の祈りを叶えてくださった出来事があった。私は何もわからないまま、行きたいと思って勝手に(?)スケジュールを決めただけだった。本当に、なにが御心かわからない・・・!

3、本当の神様の御心を知るために

神様の最初の御心(=聖書的に言うとアルパ)は人間と神との愛だ。そしたら、最初から最後まで一貫して行われる御心は何かというと、それもやはり愛だ。最後(=オメガ)はもちろん、愛なのだ。
生活そのもの、時間、人生そのものを神様と共にすること、それが”御心”なのだ。仕事しても、遊んでも、勉強しても。

神様の御心は計り知れない。しかし、私たちが神様を自分の秤にかけて判断し、人も自身も、自分のものさしで測り判断する。偉大な画家や博士、偉人たちが「俺は歴史に残るぜ!」とか思いながら生きただろうか。結果、偉大な人になったのだ。数百年後のことは神様しかわからない。

自分の心や古い考えを捨てて、本当の意味で”御心”を知るために・・・深く祈ることだ。きっと、祈っても全てはわからない。今わかる必要がないことは、神様はおっしゃらない。とにかく「やりなさい」というだけだ。
だから、「これしてみようかな」と思うことがあるなら、まず自分の考えや価値観を置いてやってみることだ。まずは行わなければわからない。絶対に御心でないときは、止めてくださる。違うときは止めてくださるようにとお祈りもして。

人間一人ひとりが、神様の考えというものに関心を持ってみたら、生活水準も社会も、少しずつ変わってくるかも。

最後に御言葉の抜粋。

神様は誰でもみ~~んな愛されます。
人間がその愛を受けて神様に近くし、愛すれば、それによってもっと「くださるべきもの」をくださり、もっと「愛」もしてくださいます。
神様は<条件のない愛>をしてくださり、人々がその愛を受けて次元を上げて上がってくればくるほど、<最高のもの>をくださいます。

人々は「神様」と違うように考えやすいから、いつも「神様の考え」どおりに考え、生きなければなりません。

(鄭明析牧師の主日の御言葉)

 
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